プログラマ=物書き説

プログラマというのは物書きである - モジログ

Googleという会社は日本の会社とどう違うのか、という非常に根本に迫った質問があり、それに対して村上氏は「日本ではプログラマからSE、主技、部長というようなキャリアステップがあるが、USではプログラマはずっとプログラマだ」ということをおっしゃっていました。プログラマというのは物書きなんだから、ということです。つまり著述業であるということです。松本清張がずっと松本清張であるようなものだと>。

<日本で役職があがるというと、それまで出来ていたことが出来なくなったからマネジャーをやりなさいということが多いとも仰っており、その点も非常に面白く感じたところです。確かに出世していくというのはどんどん現場から離れるという一面があります。私自身はプログラマという職業ではありませんが、コーディングばかりしているのでプログラムを書くことがものを書くことと同じという言葉に共感するところがありました。なるほど、こうしてブログを書くのもよくよく考えればプログラミングの延長のようなところはあります>。

自分のキャリアパスについて考えさせられることが最近多いのだけれども、その原因てまさにこの辺で「おまえもそろそろ人を使う立場に」ということを半ば強制させられてしまうこと。それでマネジメントの本を読んだりいろんな技術を導入してみたりしても違和感が拭えなくて、「ええいめんどくさい、俺が全部やる!」という気分になってしまう。こんな望まない仕事してていい経験にはなるかもしれないけど、これを自分の将来の仕事にはとてもじゃないけど無理だなあと。

とはいえ

プログラマという職業が「ふつう」の人には厳しい、プログラマという職業自体が「病んでいる」というふうに見えるとすれば、それはプログラマという職業自体の問題というよりもむしろ、プログラマという仕事の本来的な性質が、現状の「正社員的な勤務形態や評価基準」にはフィットしない、と言ったほうが近いだろう。プログラマを能力や成果でなく「勤務」で計るような雇用形態や評価基準がおかしいのだ>。

というあたりはバランスが難しくって、自分のまわりでは高いスキルを持ったプログラマほど「ちゃんとする技術」を持っていて既存の勤務や評価基準に適合できちゃっている一方、むしろそうでないプログラマほど残業時間が伸びて勤務形態がgdgdになってる気がする。そんな彼らを文芸的なプログラマかと言えると、ちょっとそうじゃないよなあと。

だから結論はどうかというと、すみません結論は考えてないです。仕事始める前に頭を動かしておきたかっただけなので。ただ一点だけ、自分は歳くってもプレイヤーでありつづけたいのです。そういうキャリアパスを描ける世界を現在探し中。